22世紀にのこすもの 先住民こそ現代都市文明人の師匠である!
最近毎月お邪魔している「22世紀に残すもの」というおはなし会で、
今日は先住民のお勉強。
先住民と呼ばれる人たちは狩猟採取を生業とする民族を指し、狩りをしながら生活する。定住せず移動し続けるため、彼らは土地や物に所有の概念がそもそもなく、地球に住んでいる。
約1万年前に定住する生活を始めたことで今まで境界など無かった土地に線を引き、作物を作るために効率性、競争原理が生まれた。
農耕民族になったことが「進化」の分岐点ではなく、「幸せな社会か不幸な社会か」の分岐点だったのではないだろうかと。
今日のゲストスピーカーの西原さんはアフリカのコンゴを中心に30年にわたって野生生物の研究調査、自然環境保全や人類進化について従事してきた方。後で調べたら京大で理学部博士号持ってるすごい人やった。
印象に残った話をいくつか。
先住民と呼ばれる人たちは対等な関係で格差や差別がない。例えば、猟で得た獲物の大小でも優越をつけないし、猟に行くのは男性の仕事だが男性が食事でいい待遇がもらえるわけでもない。これは差別ではなく役割によるものだ。
コンゴの森に生きる先住民はピグミーという民族を紹介してくれた。
3週間ほど住む家を作り家族単位で暮らす。また時間が経てば移動する。定住しないのは住んでいる場所の自然に負荷をかけないためだという。
森を歩くということがいかに経験と技術がいることか。
毒ヘビを見つけ、危険なアリを避ける。ゾウやゴリラの居場所を把握する。森の地図などは無いし、GPSも無いなかで迷わずに行きたいところへ安全に正確に辿り着くためには森を知り尽くしているピグミーが案内をしてくれるからだ。
しかし森と共に暮らすピグミーも徐々に森で生きる技術を知らないピグミーが増えているという。
彼らの生活や文化の破壊は研究や商売、観光で彼らに接点を持った人たちがもたらしたのだという。森林伐採で森が減り、国の定住化政策で街に住まわされ、画一的な先進国の教育で森に行く時間が減る。先進教育を受けた国民は幸せになれたのだろうか。若いピグミーが森を歩く技術が継承されない理由は森へ行く時間が減ったからだ。
貨幣経済や法律が彼らの生活にもお構いなく入り込み、格差がなかった社会に歪みが生まれる。自殺や殺人、戦争など無かった民族に先進国の人間が不幸を持ち込んだ。
森に生きるピグミーは森がなくては彼らではなく、彼らの文化も何れ途絶えてしまう。西原さんは人類の進化を研究してきたが、彼らの生活自体が重要なヒントになるのだそう。
迫害され差別され不当な扱いをされる彼ら、先住民こそが持続可能な生活を知っている。動物や環境の保護にはいつもスポットライトが当たるが、その地で暮らしてきた彼らはなかなか注目されず既に絶滅の危機に瀕している。
彼らの住むコンゴの地中には希少金属が眠っている。森のさらに深いところにあり、森を禿山にしたうえで採掘する。その希少金属が使われるのはソーラーパネルやリチウム電池、電気自動車という今ホットな環境対策アイテムたち。環境対応と講じて森林と土壌を破壊した先に大量に製造される矛盾がひっそりと存在していた。
熱帯雨林の木は伐採するともう森は戻らない。日本のように簡単に植林ができないからだ。なぜなら、複雑な生態系の上に成り立っているため、木を植えたり、種を撒いたあとにその木を育てる動物や虫が生息する生態系がセットで無ければ森を作ることは出来ない。
さて私に何が出来るのだろう。
事実を知ること。伝えること。今持っているiPhoneとMacを一生大切にすること?
それから各自動車メーカーの採用しているリチウムバッテリーに使用しているレアメタルのトレサビリティーを調べてみるのも面白そう。レアメタルのリサイクルに取り組んでいる企業はどれくらいあるのかな。知ることから希望は見出せる。
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22世紀に残すもの