暮らしのかたちの変化
先月末でサラリーマンを卒業し、地元へ帰郷。約1ヶ月が経とうとしている。
自分の生活の変化として、どこかに勤めて賃金を得ることから解放されるということ以上に、世界中を巻き込んだコロナウイルスの影響で24時間のうち室内にいるのが23時間強を占めることに。
長い日だと24時間中24時間。これが2日、3日続くこともある。
ただ悪いことばかりではない。何か行動したり、新しいことをするには家の外ですることばかりだったが、部屋の中にいてもできることはたくさんある。
これまで積ん読していた本を読めるし、自分に不要な本や衣類、生活用品はメルカリに出して荷物を整理するのもいい。
室内にいても種は撒けるし、漬物を漬けて2日後に食べるのもいい。醤油を麹から作って1年後の出来上がりを待つのもいい。
自分の将来について考える時間を設けるもいいし、この際オンラインで配信されている世界中のスピーカーの話を聞けるチャンスだ。
それから一人暮らしの時は部屋のどこにいても一人だが、実家に居候の日々。
自分以外の生活音が必ずどこかから聞こえる。なんと言っても極め付けは家にいるのは大人だけではないということ。それは間もなく2歳を迎える甥と間もなく生後1ヶ月を迎える姪も同じ家に住む。言わずもがな24時間一緒。
生まれて約2年の人の遊び相手を務めていると、日々変化する姿を見るのはとても興味深い。
2歳児というと、魔のイヤイヤ期と呼ばれるくらい、
何をするにも反抗的で周りの大人を困らせる大変な時期だと思っていた。
しかし、それは自分の意思が生まれ、新たな感情や自由が広がったという、成長した姿の裏返しだった。
行動をあれやこれやと大人はコントロールしようとするが、もちろん大人の思い通りには進まない。
きっとそれは、子供に対して大人のチャンネルで「考え」や「ルール」を浸透させようとしているからということに気づく。
物を投げる、食べ物で遊ぶ行為を大人はいけないことだと叱る。
もちろん良くない行為ではあるが、
行動で感情の大きさを表しているとしたら
言葉にはできない気持ちを表現しようとしているとしたら
それは大人の考えつかないコミュニケーションの取り方だっただけなのかもしれない。
どうしてそのような行動を取ったのか、
その行動にはどんな気持ちが隠れていたのかを
考えることで、見える視点が近くなるように思う。
核家族が増え、家の中には子供と自分と配偶者という家庭が多いなか、
ストレスを発散できない毎日が続いている家庭も多いのではと考える。
「事実」と「事実の捉え方」を区別し「事実の捉え方」を変えることで
しあわせな暮らしにすぐにでも気づくことができるのではないかと思ったのでした。